カンボジア旅【旅マエ学習】クメール・ルージュって何?『THE VOYAGES カンボジア クメール・ルージュと一ノ瀬泰造』を見て

カンボジア

今年の冬休み、家族でカンボジア旅行に行くことに決め、旅マエの学習として、少しづつ画像コンテンツなどを見て学んでいます。

今回私たちが見たのは、『THE_VOYAGES_カンボジア_クメール・ルージュと一ノ瀬泰造』というドキュメンタリー。

クメールルージュ政権と、アンコールワットに向かって消息を絶った日本人カメラマン一ノ瀬泰造さんを現代から追った作品です。

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地雷を踏んだらサヨウナラ、45年前にこう手紙を残して消息を絶った一人の日本人カメラマンがいた。アンコールワットで有名なカンボジア王国、1970年代この国は内戦により多くの犠牲者を出したその歴史の地をめぐる、カンボジアのいまとは

結構怖くて残酷な話で、次男は「カンボジア怖い、行きたくない」と。私も追いかけられる夢を見たくらいです。それでも、そこに行くなら学びたいんです。

クメール・ルージュって何?

今回このドキュメンタリーを見たきっかけは、『クメール・ルージュって何?』という疑問を解決するため。

クメール・ルージュとは、1970年代のカンボジアで台頭した極左過激派(カンボジア共産党)の通称です。

結成と台頭(1970〜1975年)

カンボジア内戦下、最高指導者ポル・ポト(本名:サロット・サル)率いる党幹部は、親米のロン・ノル政権に対抗するため、北ベトナムから軍事指導や支援を受けながら勢力を拡大しました。

政権の奪取と激変(1975年)

1975年に首都プノンペンを占領して「民主カンボジア」を発足。中国(毛沢東政権)からの全面的支援をバックに、過激な農村型社会主義を目指す国家作りを開始しました。

暗黒の支配期(1975〜1979年)

約3年9ヶ月の支配下で、都市住民の強制移住、貨幣や宗教の廃止、知識人の粛清などを実施。「党中央(アンカル)」の絶対指示のもと、強制労働や過酷な虐殺(ジェノサイド)により人口の約4分の1(100万〜200万人)が命を落としました。

政権の崩壊(1979年〜)

1978年末に敵対したベトナム軍の侵攻を受け、1979年初頭に政権は崩壊。残党はタイ国境の密林地帯へ逃亡し、長引く内戦へと移行していきました。

S21(トゥールスレン収容所)とジェノサイド

『THE_VOYAGES_カンボジア_クメール・ルージュと一ノ瀬泰造』では、トゥールスレン収容所について詳しく紹介され、たった数人の生存者の貴重なインタビューも収録されています。

S21(トゥールスレン収容所)は、クメール・ルージュ政権下で「スパイ」や「裏切り者」とみなされた人々を尋問・拷問するために作られた秘密警察の最高幹部直轄施設です。

元々は「トゥール・スレン」という高校の校舎でしたが、政権発足直後に接収され、教室が凄惨な尋問室や木製・レンガ造りの狭い独房へと改築されました。

S21施設と運用の特徴

絶望的な生存率

収容者数は約1万4,000人〜2万人にのぼりますが、生存者はわずか十数人しか確認されていません。「一度入ったら生きて出られない場所」でした。

徹底した記録と顔写真

管理者のドゥチ(カン・ケック・イウ)所長のもと、収容者の身元、写真、拷問による「嘘自白」の記録が厳密に保管されました。

拷問と「自白」の強要

「自分はCIAやKGB、ベトナムのスパイである」という架空の罪を認めるまで、水責め、爪剥ぎ、電気ショックなどの過酷な拷問が加えられました。

チュオンエック(キリング・フィールド)への送還

自白を終え「処刑対象」となった囚人は、プノンペン郊外の「チュオンエック」等の処刑場へ送られ、弾薬の節約のため農具や鉄パイプなどで殺害・埋め立てられました。

現在の姿

現在はトゥールスレン虐殺博物館としてそのまま保存されており、犠牲者の白黒写真や尋問室のベッド、独房の跡などが公開されています。

世界遺産の記録遺産(ユネスコ)にも登録され、ポル・ポト政権による人道に対する罪を伝える象徴となっています。

SARI QURO
SARI QURO

このドキュメンタリーで、内部を十分見て、その内容も学びました。あまりにも心が重たくなる場所なので、今回の旅行では『行かない』と決めました。

チュオンエック処刑場(キリング・フィールド)

『THE_VOYAGES_カンボジア_クメール・ルージュと一ノ瀬泰造』では、トゥールスレン収容所からチュオンエック処刑場(キリング・フィールド)ができた経緯と、その内容も詳しく紹介されています。

チュオンエック(Choeung Ek)は、首都プノンペンの南郊約15kmに位置する、クメール・ルージュ政権下で最大の規模を誇った処刑場跡です。

S21(トゥールスレン収容所)で拷問を受け「自白」させられた囚人たちが、最終的に連行されて命を落とした場所です。

処刑の手口と隠蔽

残酷かつ原始的な殺害方法

銃弾の節約と発砲音による外部発覚を防ぐため、銃ではなく農具(鍬や竹やり)、鉄パイプ、斧、ナイフなどが使われました。

大音量の音楽による隠蔽

処刑中の悲鳴や不穏な音をかき消すため、敷地内の大きな木(スピーカー・ツリー)に拡声器を取り付け、大音量で革命歌や発電機の音を流し続けていました。

キリング・ツリー(処刑の木)

幼い子供や赤ん坊は、母親の目の前で幹に打ち付けられて殺害されました。後代の「反乱」を防ぐため、一族ごと処刑する「根絶やし」の思想に基づいた凄惨な行いでした。

集団埋葬穴(集団墓地)

敷地内には129か所の集団埋葬穴(巨大な穴)が掘られ、大量の遺体が投げ込まれました。化学肥料の代わりに散布された薬品(DDTなど)は、遺体の腐敗臭を抑えると同時に、まだ息のある被収容者を確実に窒息死させる目的でも使われました。

現在のチュオンエック

現在はチュオンエック史跡公園(通称:キリング・フィールド)として整備されています。

ガラス張りの慰霊塔

敷地の中央には高い慰霊塔が建てられており、発掘された8,000個以上の頭蓋骨や遺品が年代・性別・死因ごとに分類されて納められています。

今も露出する遺品

雨が降ると、土の下から現在でも犠牲者の骨や服の破片、歯などが地表に浮かび上がってくることがあり、凄惨な現場の記憶を現代に伝えています。

SARI QURO
SARI QURO

この場所も、このドキュメンタリーで見て深く学びましたが、子どもを連れて行くにはあまりにも衝撃的な場所なので、今回の旅行ではいきません。

怖かった、でも見てよかった

今回私たちが見た『THE_VOYAGES_カンボジア_クメール・ルージュと一ノ瀬泰造』は本当に生々しく、恐ろしく考えさせられるドキュメンタリーでした。

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地雷を踏んだらサヨウナラ、45年前にこう手紙を残して消息を絶った一人の日本人カメラマンがいた。アンコールワットで有名なカンボジア王国、1970年代この国は内戦により多くの犠牲者を出したその歴史の地をめぐる、カンボジアのいまとは

クメール・ルージュとアンコールワットを一緒に撮影したいと、危険な中に向かって消息を絶った日本人カメラマン一ノ瀬泰造さんのこと、そのお墓も紹介されていましたが、一ノ瀬泰造さんについては『地雷を踏んだらサヨウナラ』という映画と書籍があるのです。

なので、こちらを見てからまたご紹介したいなと思います。

旅行に行くまでに引き続き旅マエ学習を進めていきたいと思います。旅は、歴史を知る最高のフィールドワーク。訪れる国の事を知る、世界を知る、それは子どもにとって知識を超える大きな資産だと思っています。

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