【感想】映画『地雷を踏んだらサヨウナラ』凡人には1ミリも共感できない一ノ瀬泰造の狂気とアンコールワット|物語を100倍面白く読むための豆知識

カンボジア
SARI QURO
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アンコールワットを調べて、初めて知った「一ノ瀬泰造」さんという、若き写真家。今回初めて作品に触れ、とても面白かったのでシェアしたいと思います!

カンボジアのアンコールワット旅行に向けて下調べをしていた際、偶然たどり着いた映画と手記が『地雷を踏んだらサヨウナラ』でした。

戦場カメラマン・一ノ瀬泰造氏の半生を描いたこの作品を鑑賞して抱いた素直な感想は、「正直、凡人の感覚では1ミリも共感できない」という強烈な衝撃でした。

今回は、一ノ瀬泰造氏が命を懸けてまで目指したアンコールワットへの情熱と、作品を通して感じた狂気、そして旅を何倍も深くする理由についてお伝えします。

そして、この作品や、アンコールワットをより面白くするための下地になる知識もご紹介しておきます!

旅先やドキュメンタリー作品は、歴史背景の知識があると100倍楽しめます!

映画・手記『地雷を踏んだらサヨウナラ』とは?概要とあらすじ

『地雷を踏んだらサヨウナラ』は、1970年代のカンボジア内戦下で活動した伝説の写真家・一ノ瀬泰造(いちのせ たいぞう)氏の手記およびそれを映画化した作品です。

主演の浅野忠信さんが演じる一ノ瀬氏の姿は、観る者に強い印象を残しますよ。

当時、アンコールワットは過激派「クメール・ルージュ(ポル・ポト派)」の支配下にあり、足を踏み入れることは死を意味していました。

誰もが諦める中、彼は「アンコールワットの1番乗りを果たす」という一心の情熱(あるいは狂気)で現地へと向かいます…。

時代背景:『地雷を踏んだらサヨウナラ』の時期

一ノ瀬泰造がカンボジアに滞在したのは1972年から1973年です。

この時期は、1970年にロン・ノルがクーデターを起こしてから2〜3年が経過し、内戦が最も激化・泥沼化していた時期にあたります。

当時のカンボジアは、隣国ベトナムの「ベトナム戦争」の戦火が完全に飛び火し、アメリカの思惑、北ベトナムの戦略、そしてカンボジア国内の権力闘争が複雑に絡み合う「大国の代理戦争」の場と化していました。

SARI QURO
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これから説明する時代背景を頭に入れてから作品を見ると、より理解が深まって面白いと思います!

その時、カンボジアで起きていた4つのこと

① アメリカ軍による超大規模な「絨毯爆撃」

親米のロン・ノル政権を支え、共産勢力を一掃するため、アメリカ軍はカンボジアの農村部に大量の爆弾を投下しました。

その規模は第二次世界大戦中に日本に落とされた爆弾の総量を上回るとも言われ、多くの一般市民(農民)が犠牲になりました。このアメリカへの強い怒りが、皮肉にも農民たちを反米・共産主義(クメール・ルージュ)へと傾倒させる引き金となったのです。

② 前線に埋め尽くされた膨大な数の「地雷」

タイトルの由来でもある通り、この時代からカンボジア全土、特に前線や国境付近に無数の地雷が敷設され始めました。

ロン・ノル軍、クメール・ルージュ、ベトナム軍の双方が、陣地防御や足止めのために競うように地雷を埋めました。これが、のちに長きにわたりカンボジア市民を苦しめる「地雷大国」の始まりです。

③ クメール・ルージュ(ポル・ポト派)の台頭と狂気

一ノ瀬氏が取材していた当時、ジャングルに潜むクメール・ルージュはまだ「謎のベールに包まれた反政府組織」でした。

彼らは農村部を少しずつ制圧し、思想統制を始めていました。のちに数百万人規模の虐殺を行うポル・ポト政権へと変貌していく狂気の芽が、この時期すでに育っていたのですね。

④ 混迷する首都プノンペン

一ノ瀬氏が拠点にしていた首都プノンペンは、当時、地方の戦火から逃れてきた無数の難民であふれ返っていました。

食料不足や物価の高騰が起きる一方で、ロン・ノル政権の上層部はアメリカからの援助金を着服して贅沢な暮らしを送るなど、社会の腐敗と混沌が極限に達していました。


【感想】凡人には1ミリも共感できない一ノ瀬泰造の「狂気」

作品を観ていて一番に感じるのは、命の危険を一切顧みない一ノ瀬氏の行動に対する違和感と圧倒的な熱量です。

危険を顧みない無謀さとアンコールワットへの執着

当時、シェムリアップの象徴である世界遺産アンコールワットは、反政府勢力であるクメール・ルージュの支配下にありました。

ロン・ノル政府軍の息がかかった場所しか取材できない他の外国人記者とは違い、一ノ瀬は「クメール・ルージュ側の真実」や「アンコールワットの真の姿」をカメラに収めたいという強い執念を抱き、戦場でケガを負い、目の前で人が死に、自身がマラリアなどにかかりながらも、しつこいほどにアンコールワットへのアタックを試みます。

実際、クメール・ルージュに捕まって解放されたり、政府軍から国外追放を受けたりと危険な目にばかり合っています。

普通に考えれば、「死ぬかもしれない場所」へわざわざ写真を撮りに行く理由が理解できませんよね。

周囲からの制止を振り切り、命を危険に晒してまで前線へ向かう姿は、凡人の感覚から見れば完全に「常軌を逸して」います。

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この思想は、平和に生きている凡人にはなかなか共感できるレベルではありません。

「命を懸ける」ことの本当の意味

しかし、彼にとってアンコールワットは単なる観光地や被写体ではなく、自分の生き直す価値そのものだったのかもしれません。

「上手い写真ではなく、誰も見たことがない景色を届ける」という一ノ瀬泰造の狂気的な情熱には、共感はできないものの、言葉を失うほどの恐怖と敬意を覚えます。

そして1973年11月、「地雷を踏んだらサヨウナラ。」という有名な言葉を友人に残し、単身でクメール・ルージュの支配地域へと潜入し、消息不明になりました。

クメール・ルージュに拘束され、間もなく処刑された(殺害が確認されたのは後の1982年になってから)とされています。

アンコールワット旅行前にこの作品を観るべき理由

今回、アンコールワット旅行の事前調査としてこの作品に出会えたことは、旅の価値をガラリと変える体験になりました。

ただの観光地ではない「歴史の重み」を知る

現在でこそ世界中から観光客が訪れる平和なアンコールワットですが、ほんの数十年前までは「足を踏み入れれば地雷を踏んで死ぬ」危険地帯でした。

この作品を知ることで、目の前にある遺跡がどれほど過酷な歴史を潜り抜けてきたのかを実感できます。

命を懸けてでも見たいと願った場所へ行ける感動

一ノ瀬泰造氏をはじめ、当時の人々が命を懸けても辿り着けなかった(あるいは命を落とした)場所に、現代の私たちは安全に訪れることができます。

「かつて一人のカメラマンが、命と引き換えにしてでも見たいと強く願ったアンコールワットに、今自分が立っている」

そう思うだけで、遺跡の前に立ったときの感動や鳥肌の立ち方は全く違うものになるはずです。

まとめ:『地雷を踏んだらサヨウナラ』を観てカンボジアへ旅立とう

『地雷を踏んだらサヨウナラ』は、一ノ瀬泰造という常軌を逸した写真家の生き様を描いた作品であり、凡人には決して真似できない情熱の記録です。

共感はできなくても、彼が命を賭けて目指したアンコールワットの美しさと重みは、観る者の心に深く刺さります。

これからアンコールワットへ旅行される方は、ぜひ出発前に映画や手記をチェックしてみてくださいね。現地で目にする景色が、きっと一生忘れられない特別なものになるはずです。

一ノ瀬泰造に関する行って見たい場所

バンテイスレイレストラン

ここは、作品の中で登場するマダムのレストラン。

現在も営業中で、レストランの2階には一ノ瀬泰造氏にゆかりのある作品などが展示されているそうです。

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一ノ瀬泰造メモリアル

一ノ瀬泰造氏の遺体が発見された場所(プラダック村近郊)に、現地の関係者によってお墓が立てられています。

アンコールワットから東へ約14km離れた場所なので、少し行きにくいようです。

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個人的には、映画よりも実際の日記や手紙、メモなどを集めた手記の方が、リアルでとても面白かったです!

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